2020-04-29 第201回国会 衆議院 本会議 第22号
「モリ」ニモマケズ 「カケ」ニモマケズ 失言ニモ 与党議員ノ 汚職疑惑ニモマケヌ 丈夫ナココロヲモチ アラユルコトヲ ジブンノ宣伝ノ カンジョウニ 入レ 追及ハ 聞カズ 東ニ 新型コロナ ヲ恐レル人 アレバ 行ッテ 自己責任デ 頑張レト 言ヒ 南ニ 基地反対ヲ叫ブ 沖縄県民アレバ 行カズニ 安保ノタメニ 犠牲トナレト言ヒ 左ニ 疑惑ヲ 追及スル 野党
「モリ」ニモマケズ 「カケ」ニモマケズ 失言ニモ 与党議員ノ 汚職疑惑ニモマケヌ 丈夫ナココロヲモチ アラユルコトヲ ジブンノ宣伝ノ カンジョウニ 入レ 追及ハ 聞カズ 東ニ 新型コロナ ヲ恐レル人 アレバ 行ッテ 自己責任デ 頑張レト 言ヒ 南ニ 基地反対ヲ叫ブ 沖縄県民アレバ 行カズニ 安保ノタメニ 犠牲トナレト言ヒ 左ニ 疑惑ヲ 追及スル 野党
宮沢賢治、「雨ニモマケズ」。「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 欲ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテイル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」云々とあります。 まさに、被災地の方たちはこのような気持ちで毎日を過ごしていると思います。
宮沢賢治の、岩手県の花巻の出身のあの山の風をはらみながら作品を作った宮沢賢治でありますが、有名な「雨ニモマケズ」に書かれているようであるべきではないかと、政治家は、思います。
宮沢賢治は、昭和六年に、「雨ニモマケズ」と、こういう歌を発表をしております。この中を見ますと農業に関するものが様々入っておりますので、ちょっと御紹介を申し上げたいと思います。 「ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ」と、こういうことで、農業は本当に自然に左右される産業であると、こういったようなことを歌っているところでございます。
「雨ニモマケズ」であります。本当に実直に生きること、それが最も大事だ、こういうことなんでありますけれども、残念ながら、小泉内閣の構造改革といいますか、アメリカの新自由主義といいますか、そういう中で、競争原理あるいはまた規制緩和から始まりまして、市場重視の経済ということになって、今現在それが破綻して、今石川啄木が生きていたら何と歌を詠むかであります。
ちょっと話は違いますけれども、私、小学校のときの五年生、六年生の担任の先生が宮沢賢治が好きで、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」の詩というか散文というか、これをクラス全員に覚えさせて、毎朝必ず繰り返すんですね。大体今でも私は覚えていますけれども、ちょっと自信がないのでここでは御披露しませんけれども。
それから、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」というのを暗唱されていたり、あと、萩原朔太郎の「竹」という詩を朗読したりというような姿勢を見て、私も非常に元気づけられたわけでございます。朔太郎が「竹」という詩に書いたとおり、まっしぐらという形容がまさにぴったりの様子でした。
私は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩の中に、サムサノナツハオロオロアルキ、これは物すごい実感として感じております。 その意味で、我が国においては、農業を持続的に発展させていくためには、災害によって農業者がこうむる損失を補てんし、農業経営の安定を図っていくことが重要であると考えております。
申すまでもなく、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のパロディー版でございますけれども、この詩をことしの夏の小児科学会で、賢治のふるさとの盛岡の三浦義孝医師が披露してくれたというふうに産経新聞に書いてあります。 何を言いたいのか。朝から質問をお聞きしておりましたが、結局、この詩のとおりだ、これが今の子供たちの現状だというふうな気がするわけであります。
この「雨ニモマケズ」の詩は、このかばんの中にコピーを持っております。 御存じのように、宮沢賢治はこれを作品として発表したものではございませんで、没後、手帳に、一ページに二、三行だったと思いますけれども、漢字と片仮名で書いたものを弟様が発見をされて世に出たもので、つまり、宮沢賢治の心境を法華経の南無妙法蓮華経などと一緒に書いた、本当に心のこもった文章でございます。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」というのに当てた本の話なんですが、一つの社会現象を小児学会でこういう意識を持っているということの一つの参考になられると思います、作者は不詳ということになっておりますが。
私は東北比例区出身ですが、思想家であり詩人である宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」という詩を皆さんに思い出していただきたい。ちょっと読みます。 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ これは、中曽根先生、たくましい、丈夫な日本人を育てていこう、こういうことですね。
さて、私の愛読書の一つであります宮沢賢治は、御存じのように「雨ニモマケズ」という中で、 ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ と、これがまさに農民の気持ちだったと思います。ことしは幸いに大豊作、みんな喜びました。それと同時に、生産過剰になってしまって一体米の値段はどうなるのかということです。
こういうふうにこれはもう一つの東北の冷害のパターンでありまして、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩がありますね、あの中に「サムサノナツハオロオロアルキ」というのがあるんですよ。私は子供のとき、あの詩を読んで意味がわからなかった。寒さの冬じゃないかと思って、私はミスプリントじゃないかと思って別のその詩集を見てみたけれども、夏なんですね。子供のときわからなかった。
さて、百年に一度の凶作と言われておりますことしは、今実りの秋でありますのに、低温と長雨で実を結ばなかった田んぼを前にして農家の人たちは、あの宮沢賢治が「雨ニモマケズ」で書いたように、本当にあのような状況を強いられているというふうに思います。宮沢賢治が生きておりました一八九六年から一九三三年は、戦争や恐慌、また地震や津波に加えて凶作が続いて、貧しい農家の人たちの生活は大変厳しいものがございました。
最も遺憾なのは、三菱商事のような堂々たる会社が、宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」というあの歌をもじりましてばかげたことを言っております。あの歌は、子供たちのたくさんの教科書に出ている詩で、日本の詩の歴史に残る絶唱の一つです。
とにかく、あるセキの薬、かぜ薬、それがまことに子供の嗜虐性を増長するような——それからまたへある大財閥会社が、宮沢賢治君の「雨ニモマケズ」というすぐれた、これは日本の民族の歴史に永久に残る美しい詩ですが、この詩をもじって、そしてコマーシャルに使っておる。まことに世にもあわれなることだと思います。